アカネ。

これも富貴のミョウガ畑に生えている。だんだん増えつつあるような気がする。よく見てみると、アカネというのはけっこうずっこい植物やねんな。
空中にある茎を引っ張るとすぐに切れてしまう。そのせいでなかなか根までたどれない。切れた断面を見てみると、角の尖った四角いパイプの中に丸いパイプが入っているようになっている。肉眼で見えるのはそれだけ。これじゃ、自分の体を自分で支えるなんてことはとうていできないだろう。それで、棘を使って他の植物の茎や葉に支えてもらっているというか、勝手に支えさせているというか。そこがずっこいと思うんだけど。
たいていの植物は、いかにして日光をたくさん浴びるかという競争の中にあって、できるだけ高くa/o広く葉を伸ばそうとしている。丈夫な茎をできるだけ高く上に上に伸ばして葉を広げたり、低いところを這うかわりに地面を覆うように広がったりして、自力でなんとか日光を確保しようと苦労しているわけだ。
ところが自分でそういう努力をせず、他の植物の努力におんぶする形で、ちゃっかりいいとこどりをする植物もいる。このミョウガ畑にも生えているヤブマメもその1つ。自力では地面から立ち上がれないけど、つるを他の草に巻きつけて高いところで葉を広げる。こいつらが他の植物にぎりぎりと巻きつき、絡みつき、しがみついている姿を見ていると、やられるほうの身になって、「たまったもんじゃないな」と思ったり、ちょっとくらっとする恐怖感すら感じたりする。
でも「巻きついているほうだって必死なんだろうな」とも思えて、「いや、すまないね。これも仕事だから」と、引っこ抜いて、ほどき取りながらちょっと言い訳なんかしてしまう。巻きつく植物が見つからなくて、自分らどうしで絡まり合っている姿なんか見てしまうと、ちょっと気の毒にもなる。
アカネにはそういう同情を呼ぶ余地がない。他人をあてにしているところは同じでも、必死で巻きつきもせず、いい加減というか適当というか、どべーっとよっかかって、もたれかかって、勝手に支えさせといて、そのくせ結構な距離まで伸びているし、葉だって、「限界まで日光を採ります」という決意がまるで感じられないちんまりした葉だし。
自分を支えるために自分の力を使わないというのは効率的といえば効率的な生きかたなのかもしれないけど、しょせん他の植物が周りにいないと成り立たない作戦。だから、「そんな他人をあてにしてないで、もうちょっとしゃきっとしたらどうやねん」なんて叱ってみるけど、「あー、すみませんね。ウチらこんな生きかたしかできないもんでね」って、まるで反省する様子もない。そんなんだから、とことん目の仇にはされなくても、ただの厄介者として嫌われるべき植物だったはず。染料として使われさえしなければ。
ところがところが。根が染料として利用され、それが元で昔から歌なんかにも歌われてしまったもんだから一発大逆転。現物を知らなくても、なんでもロマンチックな風に解釈したがる人たちの支持も得て、人の名前にまで付けてもらえるほどの人気ものになったとさ(名前だけだけど)。いや、いまどき源氏名とか、源氏名みたいな子どもの名前とかに、<アカネ>ってどれほど使われているかは知らないけど。付けた人はこの植物の実態を知っていて付けたのかなぁなんて思うわけ。