ギャンブルの本3冊。

最初に断っておくと、私はギャンブルをやらない。外国に行ったことはあっても、カジノなんか足を踏み入れたこともない。それは私が、勝負事は大好きだけど負けるのは大嫌いな人間だから。
胴元が絶対に勝つ仕組みになっていると本気で腹が立つ。が、カジノというのはハナからそういうものなのである。法律とシステムによって、あっちが勝つようにすっかりできあがっているのである。そういうところで私のような人間がうっかり賭けをやったら、負けてムキになって賭け続け、すっからかんに巻き上げられるのがオチだろう。それぐらいのことは予想がつく。だから行かないのである。私のような人間は、ギャンブルは本で楽しんでいるに限る。ということでギャンブルの本3冊。

最初に『賭けに勝つ人嵌まる人』。ギャンブル未経験者のためのラスベガス入門。「本気で勝つ気がないならラスベガスに行くな」。それは当然。勝負事は、勝つ気でやらないと意味が無い。心構えはそれでいいとして、ほんとうの問題はそこにない。問題は「いかにして勝つか」なのだから。
だからこの本を読んで、「ま、そりゃそうだわな」と軽く受け流せない人はラスベガスに行かないほうがいい。カモにされた上にバカにされるだけだろう。でも、この本をいくらしっかり読んでも、<いいお客さん>にしかなれない。その意味でこの本は、勝負事に疎い人(著者によれば日本人に多いらしい。じっさいそうかもしれない)のためのギャンブル入門本ではあり、そこそこ良質のラスベガス・ガイド本でもあるようだけど、それ以上ではない。
一回二回はプレイヤーが勝てても、賭けを繰り返し何度もやっていれば、確率が効いてくる。そして確率の効く範囲に入ればカジノ側が必ず勝つ。ではプレイヤーはどうするか?どうすれば勝てるのか?この本の著者が武器としているのは主に出目論と<運>理論らしい。それが有効か無効かは、著者が億万長者になっているか否かが証明してくれる。
あと比較文化論的な記述もあったが、これはどんなことをなんとでも言える分野。要は取り上げるネタとそのさばきかたが見せ所なわけだけど、囲碁・将棋とポーカーの比較というのはどうか。作為より不作為の責任が問われにくい日本という主張には同感するところがあるにしても。
次の本が『ラス・ヴェガスをブッつぶせ!』。カジノのさまざまなゲームの中で、プレイヤーがカジノとかなり対等な立場に立てる唯一のゲームがブラック・ジャック(参考:ブラックジャック - Wikipedia)。ブラック・ジャックの場合、次にどういうカードが出るかの確率が、今までに出たカードによって変わるのがミソ。
そのブラック・ジャックでMITの学生たちのグループがラスベガスのカジノに戦いを挑むのがこの本。使われた手法はカード・カウンティングの中でもわりと基本的なものに限られる。だったらべつにMITの天才たちでなくてもいいのではという気もしないではないが、書かれていない部分でややこしいことがいろいろあって、それをクリアするためにはMITでないといけなかったのかもしれない。言っておくが、この手法はイカサマではない。まったくない。にもかかわらず、カジノ側の対抗策によって、こういう手法が無効になりつつあり、それにつれてブラック・ジャックの人気も低下しつつあるらしい。非常に残念なことである。(いったいどこまで毟り取れば気が済むんだろうと腹が立つが、不要不急のカネを吸い上げるための装置として社会に不可欠な産業に、特にアメリカでは、なっている今ではしかたないのかもしれない)。
3冊目はイカサマによって勝つ本。題名も『カジノのイカサマ師たち』。手法そのものはあっけにとられるほど単純で、勝負が決まったあと、配当が配られる前にチップをすり替える。ゲームはなんでもいい。でもそれを可能にするためのお膳立てが見事。物理的・心理的な死角を作り、それを利用する。もちろん違法だから、見つかればタダでは済まない。並々ならぬ度胸も必要。なんとか見つけよう、防ごうとするカジノ側との攻防がスリリングで、3冊の中ではこの本がいちばんおもしろかった。