ダジャレ。

この夏休み、小1の甥っ子がいちばん熱心に勉強したのはダジャレ。今じゃこんなものまであるのな。『ゾロリ式おやじギャグドリル』(『かいけつゾロリの大どろぼう ポプラ社の新・小さな童話―かいけつゾロリシリーズ (215)』原ゆたかポプラ社、2005年7月、ISBN:4591087344)。
おやじギャグとダジャレはイコールではないが、それはおいといて。「このドリルをやるとおやじギャグがどんどんみにつくぞ!」という謳い文句のとおり、甥っ子の進歩には目を見張るものがあった。なによりこのドリルに取り組む姿勢。その集中力とスピードといったら、他のどんな科目を勉強する時よりもすばらしいものであった。まだ難しい問題もあるのだが、困難を乗り越えて理解した時の目の輝き。その瞬間に立ち会えた私は幸せな人間だ、そう思わせてくれるほど美しいものであった。
おやじギャグと蔑まれるほど、今日の日本では地位が低下してしまったダジャレだが、芸術的観点からもけっして軽視すべきものではない。韻を踏むという言語操作は、歴史や洋の東西を問わず、人間による表現&創作の重要な手段であり、詩や歌もこれなしでは存在しえなかったのだ。嘘だと思うならシェイクスピアを読んでみろ。
それではみなさんごいっしょに。トイレ行っといれ。トイレ遠いれ。ワニが輪になった。きみのぼうし、ぼうしたん?ねえねえ、オレンジ来ない?……。カッパかっぱらった。あっ、これは違う人か。