思わぬ相棒。(富貴1回目)。

農閑期の間にやろうと思っていたいろいろなことをやらないまま、富貴通いが始まってしまった。
向こうは朝方冷え込んだようなので、のんびり家を出る。道中の田畑はすでに耕されているところがあり、ヒバリのさえずりも聞こえる。それでも、吉野川沿いの道を火打で曲がり山の中に入っていくと、窓を開けた車内に流れ込む空気がしだいにひんやりしてくる。外の斜面には雪が残っているところも見えてきた。しかし路面には雪も氷もほとんどない。今年初の富貴行きに良い日を選んだ相棒に感謝。おまはんはいつでも正しいわ。
富貴に到着。Tさん宅に挨拶に伺う。が、あいにくお留守。ここで思わぬ出迎えがあった。それは犬。Tさんの家の庭から吠えていたが、私たちが心に何の後ろ暗いところもなくズカズカと近付いていくと、相棒の提げていたお握りに魅かれたのか、吠えるのをやめて近寄って来た。畑に向かうと、吠えるのを止め、やや距離をおいて警戒しながらもついて来る。
畑に着いたら、荷物を降ろして、改めて正式なご挨拶。それぞれが手を差し出して匂いを確認してもらうと、ペロペロ舐めてくれる。だんだん慣れてきた。耳の後ろを掻くと、体を預けてくるまでになる。
中型犬できれいな雑種。毛はクリーム色からベージュ。目はブラウン。足がすらっと長く、活発な印象。立ち耳だが、両耳の間隔は広めで、耳の付いている位置が低めなので、やさしい感じ。黒々とした鼻が健康的に濡れていて、その鼻先に向かって鼻面は次第に黒くなっている。顔にはまだ幼さが残っている。また、からだの他の部分に比べると、足がややアンバランスに大きい。まだ若いのだろう。1歳前後か。歯は真っ白だ。ちょっと失礼して股間を覗くと、メスだった。首輪はないが、人懐こいから野犬ではない。なんという名前をもらっているのだろうか。
この犬を見ているとあの犬を思い出す。何年か前に車にはねられたのを助けようとして、けっきょく助けられなかった犬。体はもう少し大きく、毛の色ももう少し濃かった。でも体型や顔がよく似ている。あのコは野良で生きていた風だったのに、私たちを恐れることも攻撃することもなく、1日にもならなかった付き合いの最初から最後までなついてくれた。死んでから、ここからそう遠くない高野山の某所、仲間がたくさんいて、自由に走り回れそうな場所に埋めたのだった。なんとなく「生まれ変わり」という言葉が浮かんでくる。
さてさて、本日最大の目的はフキノトウ採り。いちばん上の段に行くと、おお出てる、出てる。しかし似ている他の植物があったような気もする。じつのところ見分けかたをよく知らない私なのである。ツワブキ?それなら、食べたって害になるものじゃないから、まあいいや。
その間、例のワンコは、あちこち匂いを嗅いで回っている。シカの糞やらイノシシの足跡やら、興味深いものがいろいろあるんだろう。
さて、犬にばかりかまけてはいられない。とりあえず腹拵えと、お握りを食べようとしたら、「自分にも分けろ」とまとわりついてくる。しかたない。梅干しのないところを少しだけあげる。すると、いったん土の上に吐き出し、匂いをよくよく嗅いでから食べる。うーむ。知らない人から食べ物をもらうのは感心しないぞ。毒でも盛られたらどうするんだ。でもいちおう警戒はしているな。
さて今度は溝掃除にとりかかる。縦溝を下から上まで見て回り、掃除。溝を塞いでいる枯葉や倒れかかっている枯れ枝を取り除く。スコップで泥をすくわないといけないところもあったが、去年いったん溝を掘っているから楽。
水も風も、下に比べれば冷たいが、背中を照らす日は強く、しだいに暑いくらいになってきた。時々腰を伸ばし、「あいつはどうしているかな」と目を上げると、フキノトウを採った後はもう運転手専任と決め込んだ相棒が座り込んで休んでいるそばで寛いでいる。さっき会ったばかりなのに、もうそんなに仲良くなってしまって。
昼食。食べ物には興味津々なアイツ。相棒は弁当を広げることもできない。しかたない。一塊のパンを持って、少し離れたところに誘導する。どうやら<お手>は知らないが、<お座り>は知っているようだ。よーし、今こそ"Animal Planet"で覚えた服従訓練の出番だ。お座りができたら、褒めて、パンをやって、首を掻く。訓練の第一歩は、人間と犬との間の関係をはっきりさせること。裏声で"Good girl!"と叫ぶ、怪しい即席ドッグ・トレーナー。"K9 Boot Camp"(ケイナイン=canine)を見て覚えたらしい。
昼食後はリラックス・タイム。あちこち撫でたり掻いたりしていると、とうとうお腹を上に寝っ転がるまでになってしまった。地面が濡れていようがお構いなしにどこでも転がってしまうから、では、とできるだけ乾いた場所を選んで移動すると、素直について来る。心がやわらかい上に、人間が何をしようとしているか、何を要求されているか、常に注意しているから、とても付き合いやすい良い犬だ。さすが雑種。
午後は溝掃除の続き。相棒は読書。ワンコは相棒のそばにいたかと思うと、ふと何かに気を引かれた様子で、上手の山の中に消えてしまった。時間をおいて何度か呼んでみても帰って来ない。「自由に野山を駆け回っている犬はそんなものだ」と諦めて、自分の作業に専念する。もう既に、姿が見えないと寂しいような気分になっている、そんな自分はどうしたことか。
溝掃除がほぼ済んで一休みしていると、下手からあのワンコが戻ってきた。小山をぐるっと一周して来たらしい。私の姿を見ると、尻尾を振って近付いてくる。なんでお前はそんなに嬉しそうなんだ。こっちまで嬉しくなってしまうじゃないか。
その後も、私の後をついて来たかと思うと、ふとまた山の中にいなくなった。しばらくするとまた姿を現して、緩やかな道に誘導しようとする私の気遣いをよそに、急な斜面を真直に降りてきて、溝を飛び越えまっしぐらに走ってくる。かわいいじゃないか。
山の向こうに日が隠れると、急に冷え込んできた。帰り仕度を始めると、先に立って行く。カンも良いんだな。車まで、相棒と私の様子を当分に窺いながら、前になり後ろになり、ついて来る。着替えを済ませ、荷物を積み込み、さよならの挨拶を済ませて車に乗り込んだら、ふっと自分から遠くに行った。いじらしい。また必ず来るからな。これからたくさん来るからな。