日本のモノ作りの将来は。

暗いかもしれないな。
小学校6年生の甥っ子の夏休みの工作に付き合って思った。あまりにもヘタ。
いや、そういう私だってそっち方面に才能があるわけではなくて、むしろかなり不器用だと言ってもいいぐらいで、この年になってやっと、じっくり時間をかけてやればやっとなんとか人並みに実用レベルのものができるようになった程度なんだけど、その私が同じぐらいの年齢だった頃と比べてもはっきり見劣りする。定規、カッター、接着剤などなど、道具の使いかたからしてまるでなっちゃいない。この子が特別できないわけじゃない。ごくごく普通の子だから、これが今の子どもの平均レベルなんだと思う。
聞けばふだんの学校の工作は全部<キット>で、誰でもできるようになっているそうだ。いや、もうね、何と言えばいいのか。あのなあ、成長のこの段階で、何かを完成させられることに、いったい何の意味があるっちゅーねん。
いま大事なのは過程しかないでしょ。何をどう使えばいいのか。どういう段取りを踏めばうまく進むのか。それを自分で考えて工夫して、1つ1つ身に付けていくことのほうが、何かを完成させることよりはるかに大事なんじゃないの。失敗したっていい。むしろ失敗したほうがよく覚えるのに。
それを、何にも考えず指示されたとおりにやっていれば、あら不思議、こんなものができちゃいましたってところまでお膳立てしたキットを与えて、それでいったい何になるの。そんなものをいくら作ったところで違うものは作れないのに。いつまでたったって自分の欲しいものを自分で作れるようにはならないのに。
いったいなんでこうなってしまったんだろう。それはたぶん親や先生たちが教えられなくなっているせいじゃないかな。1つは教えるはずの人間自身がそういうノウハウを身に付けていない。
もう1つは、そういう立場の人間が、子どもたちとじっくり付き合わなくなっている。子どもたちのそばにいて、子どもたちが何を見て、何を経験して、何を考えているか、見守りながら必要なときには手助けをする。そういうことをしなくなっているのではないかな。できた/できないという結果だけを見て、結果だけをせっかちに求めて、過程を無視しているんじゃないかな。
これじゃあ、将来こういう子どもたちが入ってくるモノ作りの現場の人は苦労するだろうな。何から何までぜんぶ、ごくごくベーシックなことから教えなきゃいけないから。転びかたすら知らない人間に格闘技を教えるようなものだな。
ま、大きな問題はエライ人たちに考えてもらうとして、ヒマジンのおじさんは、そういう甥っ子に根気よく付き合ってみるぐらいしかできないんだけどね。