猫の家。

猫の家というものがある。正確にはあったというべきかもしれない。『図説・藁の文化』(宮崎清、法政大学出版局、1995年3月30日、ISBN:458832117X)というぶ厚い本を読んでいて、そこに出てきた。正直に言うと、最初のうちは頭からみっちりちゃんと読んでたんだけど、そのうちだんだん疲れてきて、後ろのほうをパラパラめくっているときに見つけた。
犬に犬小屋というのは当たり前の話だけど、いやさいきんは犬も地位が向上して、ちゃんと家の中に居場所を割り当てられていたりするから、犬小屋というものを知らない人もいるのかもしれない。まあ、それはいいとして、犬小屋ならぬ猫の家とはいったいどんなものなのか。
この本には、猫の家のきれいな絵が2ページにわたって載っている。サンプルは全部で8つ。1ページ目のサンプルは、長野、山形、岩手で採集されたもの。2ページ目は岐阜、石川。どれも冬の寒さが厳しい地方だ。岐阜だけはちょっとわからないけど、たぶん寒いところなんだろう。猫が家にいる人なら、この絵を見ただけで「ああ、あれか」ときっとすぐにわかる。名前は猫ツグラというのだそうだ。ネコイズミとか、ネコツブラと呼ぶ地方もある。

猫ツグラは、猫の住みかである。ワラのやわらかさとぬくもりが、猫に好まれる。猫は、やわらかであたたかなこのツグラのなかで、体を丸くして休む。

なのだ。今でも似たようなものを見かけることはある。いや、今は夏なので、暑さ対策の商品ばかりだけど、冬にペットショップへ行けば売っている。ドーム型のテントをミニチュアにしたようなもので、側面のどこかに、たいてい1つ口が開いている。でもいまどきのあんなちゃらちゃらしたのとは、形は似ていてもモノが違う。いや「ちゃらちゃらしたの」なんて見下した言いかたをついしてしまった。そういう私だって、さっきまでそんなちゃらちゃらしたものしか知らなかった。威張るのはやめよう。
でも今のは、変にファンシーな色だったり、ケバケバしかったり、豹柄模様だったりして、「これはちょっと」と思って私は横目で見ていた。猫に豹柄って。そりゃ確かに猫も豹も同じネコ科の動物だけど。だいたい豹柄の猫なんかいるのかな。私は見かけたことがないけど。もし豹柄の猫みたいな動物がいたら、それはほんとの豹なんじゃないのかな。
藁で作ったネコツグラはちゃらちゃらしていない。それどころではないのだ。実用度がぜんぜん違うから、きっと。ネコツグラは、冬の夜うっかり外に締め出してしまったら、猫が凍死してしまうかもしれないぐらい寒さが厳しい地方で、猫のために人間が作ったものなのだ。たぶん。
なぜかというと、熊本にある父の実家ではこういう類のものを見かけたことがないから。冬は大阪より確実に寒いし、田んぼも畑もあって、昔は牛を飼っていたこともあるふつうの農家で、とうぜんいつでも猫がいたけど、ネコツグラの類のものは見かけたことがない。じゃあ、寒い時に猫はどこにいたかというと、階段を上がって、2階というか屋根裏というか、そういう場所。だから、その程度の防寒対策でしのげる寒さの土地では、こういうものは作られなかったんじゃないだろうかと私は推測するけど、当たっているかどうかはわからない。
ところが今では、冬といったって、たいてい部屋は暖房が効いていて、ヘタすると冷房が効いている夏より室温が高かったりする始末で、そんな場所では猫が凍死する心配もない。だから、いまやこういう商品は人間のためのものになった。「あら、これどうかしら。うちの猫ちゃん、気に入ってくれるかしら」って、ちょっとドキドキしながら買ってく人間が楽しむためのもの。猫にとっての必要性は低いから、好みがうるさくなるのは当然で、人間がせっかく買っても、猫が気に入らないことも増える。そうすると、それはもう他に何にも使い道がない、タダのゴミになってしまう。
藁で作ったネコツグラが現代モノより優れたところはまだある。それは匂い。いまどきのペットショップで買ってくるフリースの類でできたものは、元が石油化学製品だし、ペットショップにいる犬も含めたいろんな動物の匂いとか、それを触った知らない人間の匂いもついている。猫はそういうのに敏感だから、最初にクンクン嗅いで調べた結果、人間にはわからない主観的かつ絶対的な基準に照らし合わせて、「不可!」と却下することもあるだろう。その点、藁で作ったネコツグラにはそんな理由で拒否される心配はほとんどない。材料はいつも身の回りにある藁だし、藁を打って1つの家にまで作り上げる過程で、いつも身近にいる誰か、ゴハンをくれたり、喉を撫でてくれたり、こっちからスリスリする相手になったり、そういう人間の匂いが手作業の中でたっぷりついているはずなのだ。私は人間だからそういう匂いはわからないけど、猫にはきっとわかっているはずだ。汗をたっぷり吸ったシャツを脱ぎっぱなしにしていると、いつの間にかその上に猫が寝ているなんてことは、猫と暮らしている人なら誰でも経験したことがあるでしょう。嗅ぎ慣れた匂いは、猫にとっていい匂い、安心できる匂いなんだろう。
ということで、猫の家こと、藁で作ったネコツグラはたいへん素敵なモノなのだが、今も現役で活躍しているおウチはあるのだろうか。あったらいいな。きっとそういう家では、猫も人も幸せに暮らしているだろうから。
本に出てくる猫の家の絵もそれぞれ微妙にバリエーションがあって、例えば、てっぺんに2つめの穴が開けてあったり、ぶらさげられそうな紐がついてあったりして、そこに入ることを想定された猫とそれを作った人の関わりかたとか、人間の側の思い入れとかが伺えて、また楽しいものだった。
ちなみにネコツグラはネコチグラと同じ言葉だと思う。